「東日本大震災から3ヶ月経って韓国の学生たちの想い」が届きましたので転載させていただきます。

韓国の地より、日本の復興状況を心配して再びメールが届きました。

震災後の3月19日にブログに掲載をした茨城大学から韓国の忠北大学に留学し、韓国で忠北大学社会科学研究所の研究員としてご活躍する根本様からです。

稲葉さん

大震災から3か月が過ぎました。

日本での出来事は、インターネットや新聞、人の話を通じてしか分からないのですが、今も震災の中に違いなく、何とか、もどかしいばかりです。

先週私の受け持つ講義で期末試験があり、その中で韓国の学生の方々に日本への想いを聞きました。少しでも何かのお力になれればと、一部を抜粋してお送りいたします。
                  根 本
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2011年6月9日(試験実施日)
今の日本に対する韓国の学生たちの想い
期末試験(教科目: 地方自治と福祉社会)回答からの抜粋

問題4. 2011年3月11日に起きた東日本大震災に対し「責任」という観点から自由に述べなさい。

以下一部の回答から抜粋。

隣近所のある家で慶弔事のあった時には、他の家で一緒に喜んであげて、悲しんであげることが私たちの道理でした。今回日本という隣近所に大きな悲しみがありました。すぐ隣の家の私たちが同じ地球の構成員として大きな責任感を共にもって、彼らと一緒に悲しみを分け合い、激励してあげることが必要な状況です。(農業経済学科2年)

2011年3月11日、いつもと同じように座って勉強していたところ、友だちから映画「海雲台」が実際に起きたという話を聞いた。私は何を大げさなと思い、家に帰ってニュースを見ると、驚愕を禁じえなかった。大惨事だった。画面に見える全ての家々が壊れ、洪水が起き、人びとの生活は不
可能に見えた。(これまで私が)23年間を生きてきて、日本に地震が多いことを知っていたに過ぎず、すぐ隣に位置する隣国日本にこのようなことが起きたという事実を信じることができなかった。どうやってでも助けるべきだと思った。しかし最も良い方法を見つけようと苦心の日々を過ごす中で、(ある)酒の席で「日本の奴等いい気味だ」と楽しむ友だちの光景に(遭い)、友だちと喧嘩した。明らかに我が国は日本よりも豊かではないが、助けてあげるべきだというのが人として当たり前の道理だ。日本は今に至るまでも大震災の余波で原発が破壊され、頭を悩ませている。私は日本の大震災を見て、私の周りの人たちに対して、今私より厳しい環境にある人たちを助けるべき責任を感じた。現在もそうだし、これからもそうだろう。(農業経済学科2年)

責任の観点からみるのは実に困難だ。日本社会を助ける責任と義務があるのかという観点から答えようと思う。責任と義務を追及するにはこの度の震災は余りにも惨酷だった。だから、助けてあげるのが当然で、日本に対する関心が私たちの責任ではないか。(植物資源学科3年)

被曝することを知りながら、命に危険が及ぶことを知りながら、放射能流出を止めるために最後まで残った、(中略)もしこのようなことがなかったら、被災者の家が壊れようが、放射能が外に漏れようが、気にしなかっただろう。(中略)若干違う話だが、(「大人物」という話)(中略)両親と姉を殺害したこの男に金を渡した私は、大人物なのでしょうか。(以下略)(植物資源学科3年)

東日本大震災により日本に多くの人的・物的被害が発生し、全世界が痛ましく思っていた瞬間、絶対的な安全を誇っていた福島原子力発電所に電力供給の遅れが生じ、原発事故が起こった。事故発生の初期に日本政府は、問題は軽微であるのでとくに心配することはない、という態度と行動を見せていたが、結局チェルノブイリ原発事故以上の放射性物質の漏出という最悪の結果をもたらした。原発事故による日本国内の問題と共に、全世界を放射能の恐怖に追いやった。個人的に今日本の事態を見ながら「ドイツ」と「ヒトラー」の事例を想起した。ヒトラーただ1人のために数十万人のユダヤ人が殺され、後にドイツは国家次元の謝過と同時に補償も行った。今日本に謝過と補償を要求するものではないが、「前代」の過ちを「後代」が責任を取ったドイツのように、自分たちの失敗を反省し、既に起きてしまった出来事に対する責任意識をもった行動が必要であると考える。(経済学科4年)

地震津波原発事故によって被害を受けた被災者に迅速で体系的な復旧・対策作業が行われたとは見えません。これによって災害対策に多くの問題があることが明らかになり、行政の複雑な手続きにより倉庫は救護物資で一杯であるのに街中はひもじい思いをする被災者たちで溢れました。
地震津波は自然災害なので人間の力では防ぐことができないが、それに対する予測と災害後の復旧と対策は人類の担うべき部分です。
まず機敏に対応できなかった日本政府にも、ある程度被害を拡大させた責任があると見ます。体系的な官僚制をもった日本で対応が遅れたのは、あらゆる官僚制を採った社会では或いは当然の帰結だったのかも知れません。今回の事態により官僚制の問題点が明らかになったことで、これを修正補完する必要があります。(中略)
今回の事故を全世界の全ての人びとは他人事のように捨て置くことはできなかったことでしょう。今回は日本だったが自分たちも同様の事故にいつでも直面しうることを分かっているからです。したがってまるで自分のことのように対策を立て、対策チームを日本に送っているのかも知れません。今回の東日本大震災津波原発事故は小さくは日本、大きくは全人類の責任であり、対決課題でしょう。これから私たちは官僚制の弊害を修正し、原発の安全性問題を解決するのに全員が全面的に取り組まねばならないように思います。(法学科4年)

復旧は私たちの責任だ。多くの精神的苦痛と生活基盤の破壊は個人の人生を無気力にし、疲弊させてしまう。したがって、NPOは住民が生活に戻れるよう助けるべきであり、国家は国家の位置で、個人は個人の位置で、揺らぐことなく日常を維持することが、そして担った仕事を全うすることが、各人に与えられた責任となるだろう。(法学科4年)

以下、「講義所感」につづく